2015年12月3日木曜日

生きる伝説コービー・ブライアント最後の言葉 (グッドモーニングアメリカ・インタービュー編)

生きる伝説コービー・ブライアント最後の言葉 (グッドモーニングアメリカ・インタービュー編)

Q: インタビュアー
A: コービー・ブライアント

※一部割愛。

Q: なぜ今(引退)?
A: ちょうど頃合いかなって感じた。外部的な事じゃなくって内部的な事(気持ち)。

Q: どうやって分かったの?
A: 朝に15分ぐらい瞑想するだけども、通常であれば絶対にバスケットボールに意識が傾くんだが、それが無かった。あ、(引退が)近いなと感じた。

Q: 20年もレイカーズだけでやれた事についてどれだけ重要?
A: めちゃめちゃ。小さい頃からレイカーズファンだったし、マジックのポスターも貼ってた。夢だった。メンター(師匠)達にも出会えたし。

Q: 引退を決めた時に観客に送ったレターは必要だった?
A: ファンが僕にとってはとても重要だ。手紙で何かが正当化されるとは思わないが、一緒に若い頃から観てきてもらったファンにお別れを告げるのは美しい事だ。

Q: 引退は突然のこと?それとも何かの過程があった?
A: そう、過程。この過去3年間。アキレス腱断裂、膝の骨折、肩の靭帯断裂、が続けて起こった過去3年は徐々に引退を色濃くさせた。

Q: 今シーズンは評価(批評)に見合ってると思う?
A: 確かに。常に賞賛されることではないし、批評される事は受け入れなければならない。良いこともあれば悪いこともある。

A: 若い世代の選手達と共有したい(価値観)は、全て受け入れろという事だ。プラスな事もマイナスな事も受け入れろという事。

Q: バスケットボールで全て成し遂げたと思う?
A: 成し遂げていない。8回は優勝したかった。マジックは5回、マイケルは6回、だから。7回できるチャンスはあったが、うまくいかなかった。

Q: バスケットボール史上のベスト5は誰を選ぶ?
A: 自分は絶対含めない。自分が最も学ばさせてもらった選手を選ぶ。ジョーダン、マジック、バード、ハキーム・オラジュワン、ジェリー・ウェストだ。

Q: (SNSなどで使われる)#GOATのハッシュタグを使われてどう思う?※GOATはGreatest of All-Time. 史上最高という意。
A: 最高の事だ。そういう偉人達と同じ土俵で比較されるだけで光栄な事だ。ジョーダンと一対一をしたらどっちが勝つとか、という類の論は常に起こるだろう。

Q:(ジョーダン)と1 on 1をしたらどっちが勝つの?
A: 僕が多少勝つだろうしジョーダンも多少勝つ。そういう議論に終始するよ。

Q: 本当に辞めるの?
A: 辞めるよ。でも、バスケに対する愛情、熱意、学んだ事全ては僕の中で生きるから構わない。


生きる伝説コービー・ブライアント最後の言葉 (TNTインタービュー編)

生きる伝説コービー・ブライアント最後の言葉 (TNTインタービュー編)

Q (アーニー・ジョンソン)
A(コービー・ブライアント)

Q: いつ引退分かったの?
A: 去年発表する事はできた。何かが変われば続けてた。全てはやりたいかどうかの気持ちの問題で、外の状況とは関係無い。

Q: 引退の気持ちを変える事はできないの?
A: 無い。

Q: (コービー)を一言で表せばコンピティタ(競争する人)だけど、あなた(コービーの)コンピティタのリストには誰がいる?
A: マイケル・ジョーダンとアレン・アイバーソンがすぐ思いつく。マイケルとスコッティ(ピッペン)の獰猛さは凄まじかった。俺の世代ではAIだった。

Q: 誰がいわゆるコービー・ストッパー(コービーのオフェンスを封じるプレイヤー)だった?
A: 俺が1番手こずった相手はトニー・アレン。ブルース・ボーウェンも素晴らしかった。ラジャ・ベルも素晴らしいディフェンダーだった。

Q: (バスケットボールの競技で)最も影響を与えた人に手紙を書くとしたら誰?
A: マイケル・ジョーダン、ビル・ラッセル、ジェリー・ウェスト。

Q: 何と伝える?
A: ありがとう。メンター(師)として、いつも(師事してもらいたい時に)師事してくれて。

Q: 37歳のコービーは18歳のコービーにどういう会話をする?
A: 人間の「本質」を気にかけろと。バスケットボールの戦略と人間の「本質」のバランスを保てと伝えたい。戦略ができたところで、人と関わる事ができず、誰かに気づきを与える事ができなければ優勝をする事はできない。

Q: 5回の優勝、それぞれを格付けできる?したことある?
A: 一般的な答えならどれも一緒、だけども、本当のところは2010年のボストンに勝って優勝シリーズが断トツだ。3人の殿堂入りを相手にして、(シリーズで)2−3の逆境に立たされて、2008年には決勝で敗け、伝統のある一戦、そして指を骨折していたからこそ、この優勝が1番特別だ。

Q: 引退した後、6回目の優勝をできなかった事に苛まれる?
A: 無い。自分ができるあらゆる全ての事はやった。5回優勝した後に6回目ができなかった事を言及できる事が既に常軌を逸しているが、個人的には受け入れられる。あらゆる努力はしたがそういう運命では無かった。それでも生きていける。

Q: (キャリアの中で)やりなおしたいと思う事があれば何?
A: シャックとうまくいかなくなった時点で、リーダーの役回りを担って、早い段階で(シャック)対話した。

Q: シャックやフィル・ジャクソンとはどうやって和解した?今でもその過程いる?
A: いや、その過程はもう完了してる。一緒に(試合を)戦った時の記憶や経験は時間の経過とともに(試合そのものの結果)より存在が大きくなり人間の絆を深くした。それが1つ目の段階だろう。2つ目は大人になったという事だ。2006年にフィルが戻ってきて、君たちを助けたいと手を差し伸べた時がきっかけだった。いや、僕は判断する立場に無い、誰もが過ちを犯すから許してもらいたいというプロセスから始まった。

Q: (引退して)何が1番やりたいと懐かしむと思う?
A: チームメイトの(潜在能力)を最大限に引き出してあげる、という問題解決(パズル)かな。一緒に挑戦すること、人間関係を築くこと、キャンプからプレイオフまで見守ってやること、そして最後に成長したチームメイト達を見れる、という過程。

Q: テレビ業界で演者としてやれると思う?
A: やれない。忍耐力がない。チャールズは選手からテレビ演者としてうまくやった代表例だと思う。

Q: (NBA on TNT)にテレビ出演してくれる?
A: いいよ、握手しよう。歳入の60%はちょうだいね。(笑)
Q: 握手やめよう(笑)

http://www.nba.com/video/channels/tnt_overtime/2015/12/03/20151203-inside-kobe-interview.nba/?cid=NBAsocial_20151204_55968426&adbid=672656669663354880&adbpl=tw&adbpr=19923144

2015年9月14日月曜日

ニュースって必要?ある原則に従っていると、それほどニュースは読まなくてよい事が分かってきた。

最高気温が40度近い日々を送っています。

ニュースって必要?

ツールが増えて世の中が便利になると、情報が至るところから溢れだしてきます。新聞、雑誌、書籍に始まり、ヤフーニュース、グーグルニュースのウェブに代わるかと思えば、ブログリーダなどのツール、SNSなどの時系列ツールのツイッターやフェイスブック、そして、スマートニュースやワニパックなどのモバイルアプリが主流になる昨今です。

でも、そんなにニュースって必要?そんだけ情報いる?

疑問は常に頭の後ろを駆け巡りつつ、情報、情報源の取捨選択をする毎日です。

何を求めているのかを見極める

ニュースをざっくり分類してみると、

  1. 事実(知識蓄積)
  2. 状況(確認)

に分けられると考えます。

2は例えばスポーツの試合の推移を確認、天気予報や交通状況の確認、郷土の変遷を確認など、確認行為そのものに該当します。

ニュースから2を取り除けば残るのは1. 事実(知識)確認です。残念ながらニュースは売れる事を前提にしている事が多いので、真偽は勿論、思想や哲学に係る偏見の判断は自己確認、自己責任で理解しないといけません。

真偽に関わらず知識の蓄積がニュースを読む行為です。



「キーワード」を掘る

知識を脳に蓄える事が目的なのであれば、ニュースを読む事は必要でしょうか?私の答えはNOです。

知識を蓄える行為は、物事の本質を理解する事とも言い換えられます。つまる、本質はキーワードとロジックであり、キーワードを追えばニュースを読んでる事と変わりません。

ロジックはキーワードを追えば確立され、キーワードを追えば信憑性の高い、誤差の少ない情報源にぶつかるでしょう。ニュースである必要は無いのです。

ブレない本質を理解する

キーワードを掘る行為は簡単です。誰にでもできます。但しブレない本質を理解するのは簡単ではありません。

これは自身の価値観、思想、経験則が伴うからです。だからこそ敢えてニュースを読まない事は勇気が要りますが、本質を捕まえていれば動揺は無いでしょう。

ニュース無しの世界、あなたはできますか?




2015年9月5日土曜日

何かが無かったらできないじゃなくって、何かが無くてもできるという考え方。

ストレッチは歳を取れば取るほど、スポーツをしていなくても大事だなと思う今日この頃です。

資源が無いからできない?

いわゆる資源と呼ばれるものには世の中に、そして自分自身の周りに数多く存在します。食べ物、靴、服、体育館、車、家、人材、技術、お金、スペース、時間、健康、、、などなど。

そして、〜〜が無かったらから〜〜かができない。〜〜があれば〜〜ができた。という言葉は資源が乏しい状況によく聞く言葉です。勿論、私自身もこの状況に陥ってしまう日常です。


資源が無くても達成(成功)はできる

前項で述べたように、言い訳というのは何かの資源が無かった状況を嘆く事が多いです。しかしながら、果たして資源があれば成し遂げる事ができたのでしょうか?言い換えると、資源が無ければ成功できないのでしょうか?

参考リンクも目を通していただければ分かるように、歴史を振り返ると必ずしも資源が無くても成功してる事例が数多くある事がわかります。木材から石炭に代わったように、制約がある中で取って代わる資源は出てきます。インターネットの出現でどれだけ日常生活の資源が取って代わっていってるでしょうか?


究極の資源は”資源に溢れているという考え方”


The ultimate resource is resourcefulness. (究極の資源は資源に溢れているという考え方)

僕自身もこのフレーズを聞いた時は衝撃を受けました。何かの資源じゃなくって、資源はどこにでもあるんだよって考え方。制約があるからこそ、アイディアが生まれ、イノベーションになり、何かを達成できるようになる。この考え方はとても深いなと今でも考え込む事は多々あります。

どうでしょうか?例えば、皆さんも時間が無いからできないという状況に陥ったら、どういう「資源」の発想を生み出すでしょうか?





参考:
https://www.youtube.com/watch?v=Y4_MNO7AEbU
http://philosiblog.com/2012/10/12/its-not-the-lack-of-resources-its-your-lack-of-resourcefulness-that-stops-you/

2015年8月28日金曜日

プラス思考とマイナス思考の違いは、問題を認識して何かの行動ができるように言い換える事ができるかどうかの違い。

最近はメキメキと動画編集のスキルをつけて、真夏を室内で過ごしています。ああ、膝が痛い。。。

問題の認識だけで終わってしまうのはマイナス思考

さて、日常の生活でも、仕事の現場においても、困ったな〜っと思ってしまう状況にぶち当たる事はたくさんあります。〜〜ができない〜、〜〜は無理だ〜、という状況です。

いわゆる問題の認識は誰にでもできるわけで、この認識だけで終わってしまえば、そこから挑戦もなければ前進もしないマイナス思考になります。思考停止とも言えるかもしれません。

仕事が終わらない。。予算が足りない。。良い出会いが無い。。毎日がつまらない。。などなど。


問題を何か実行できる単位に言い換える事ができるのがプラス思考

問題の認識ができる事もひょっとしたら重要かもしれません。しかしここから次のステップに進むのが難しく、そしてプラス思考かマイナス思考かを決める境界となります。

問題の認識ができたら次は解決策、解決策とはつまり、何かを実行できる単位(行為)に言い換える事ができるかどうかです。

特定の仕事を誰かに委譲する。。。交遊費を削る。。。知らない人に思い切って話しかけてみる。。。何か新しい趣味を始めるのに本屋で調べる。。。などなど。


正解は無いかもしれないが問題解決者(Problem Solver)

こういった何かを実行出来る単位に言い換える作業は、アイディアが必要で考えなければなりません。(思考稼働)何パターンもの言い換えができて、必ずしもその中に正解があるとは限らない事もあるでしょう。しかし、失敗を繰り返して行くことが、成功(正解)に近づいていると、トーマス・エジソンの名言を振り返ってみれば納得できるのではないでしょうか。




参考:真の問題解決者になるための6つの劇的なステップ
http://www.entrepreneur.com/article/249799

2015年8月12日水曜日

仕事(タスク)を最小限の単位に分割する事は、仕事をいかに早く終えるかの基礎。

Divide and Conquer 

分割して制服する、という言葉がコンピュータ・サイエンスの世界にはあるのですが、これはアルゴリズムの中の考え方の1つで、大きな単位のタスク(仕事)を小さく分割できる単位にまで分割して処理していく、いわゆるトップダウン型のタスクの処理方法です。実はこの考え方が一般的にどこでも通用するよな〜って、しみじみ思ってしまう今日この頃です。


なぜ分割するのか?

大きな仕事の単位、つまり何か大きなプロジェクトでもなんでも良いんですが、例えば、Tシャツのデザインを1枚仕上げるという命題がある場合、これを1つの仕事の単位にしてしまうと、仕事の単位が大き過ぎてしまうので、どこから手を付けて良いのか途方に暮れて仕事が早く終わらず挫折してしまうわです。

じゃあ、この命題を細かく掘り下げた場合。Tシャツのデザインの素材となる画像をiPhoneで撮影するのにxxに行って、撮影した画像から選定したものからPhotoshopでトレースして、イラストを作った物をデザインのプロトタイプにする。

ここで命題の違いが出来ます。

大きな仕事の単位:
  1. Tシャツのデザインを1枚仕上げる

小さな仕事の単位:

  1. 素材となる画像をiPhoneで撮影
  2. xxに行く
  3. 撮影した画像から選定
  4. Photoshopでトレース
  5. イラストを作った物


同じ目的を達成するのであっても、命題を大きな仕事の単位と、小さな仕事の単位で分けた場合では、具体的に何をしなければいけないかが分かり易くなります。それだけでなく、小さな仕事の単位にする事で、重複した作業を見抜きやすくなるばかりか、どの仕事の単位を何(誰)にデリゲート(委譲)すればよいのか分かります。また、手順がシーケンシャル(逐次的)でなくマルチプロセス(同時並列処理)できるのであれば、仕事が早く終えられる基礎となり得る事は自明でしょう。そしてどの仕事単位をどの期間でやるのかスケジュール(計画)も立てやすくなります。


日常を振り返ってみましょう

なかなか仕事が終わらない、作業がすすまない、早く家に帰りたい。そんな方は一度、日々の生活、仕事、の中で仕事の単位を大きくし過ぎていないか、目標の設定を抽象的にしていないか、一度振り返ってみてください。そして、具象化できるものは細分化してみてください。ひょっとすればもっと楽に仕事ができるヒントが隠れているかもしれません。

Divide and Conquer




2015年8月1日土曜日

アメリカで物を買う時にまずは覚えておきたい交渉のキーワード

ネットショップなどが普及している今、アメリカの店舗で物を購入する時は必ずネットショップで売られている値段をチェックしてください。そして、競合他社の店舗で売られているマーケットの価格も下調べしておきましょう。

仮に店舗とネットショップや競合他社で売られている値段が違う場合、例えば店舗では高く売られているがネットショップではセールされている。こういう場合は必ず使いたいキーワードがあるので覚えておきましょう。

"Can you match the price?"

値段をマッチしてくれるか?要するに値段を合わせてくれという要求を主張しておきましょう。競合他社の場合、難しいケースもありますが、ネットで実店舗であれば交渉してみる価値はあります。



2015年7月30日木曜日

ちょっとした変化をつけ続ける事は、凝り固まっている脳の配線を解きほぐすだけでなく、つまらない状況からの脱出。

こんにちは。最近は右でも左でもなく真ん中を歩こうとしています。


単純な作業はつまらない

さて、つまらない状況ってどんな状況なのかなと考えた時に思い浮かぶのがルーチン化された単純作業。つまり決まったな作業をいつも繰り返しやっているような状況です。これは極端な話、プログラムが書ければコンピュータかAIに丸投げできるような仕事になります。

つまらない状況を否定している訳ではありませんが、こういった単純作業をどこかにポイっと放り投げる事ができれば、他にもっと楽しい事を模索できるわけで、つまらないから楽しい状況に変わるんじゃないだろうか、と思ったりもしています。

ルーチン化された作業、仕事、タスク、スレッド、プロセス、お手伝い、動作、行為、と言い換えればいろいろあるんですが、本質的には繰り返し行う小さく分割され切った作業、の事を指しています。例えば、毎朝の通勤で車を運転して家からオフィスまで行く、という作業。

車の自動運転が可能になる頃には、こういった単純作業を丸投げして、その代わりに空いた時間を読書なり、ニュースを読んだり、アイディアに没頭したりと、他の作業に使えるようになるのかなと思うとワクワクするわけです。


ちょっとした変化をつける

ただ、なかなかこういった単純作業を丸投げできる状況や段階に無い事があるのも確かで、じゃあどうしたらよいのかなと悩むのが普通でないでしょうか。そこで思い付いたのがルーチンに微妙な変化をつけ続ける努力。平凡な作業にいつもと違う「やり方」を実践したり、作業に「付加」を与える事で非日常を生み出す効果があると考えます。

もう少し具体的に書いてみましょう。「やり方」の例として、ある場所から他の場所に移動する単純な作業がある場合、いつもと違う経路を使ってみる。いつもは直進するコースも今日は少し手前で曲がってみる。そういう微妙な変化を与えてみると、実は見落としていたり、日常では気付かない非日常が見えたりする事もあったりします。結果的に何かのアイディアに繋がったりするかもしれません。

また「付加」を与える例としては、皿洗いのバイトで1分間に5枚洗えた皿を今度は6枚、7枚、、10枚、、、といった風に早く洗えるようにする。どのように作業を効率化させるかなどを試行錯誤すると、これまた何かの発想につながるかもしれない、というのが平凡な作業にちょっとした変化を与えるという事です。


脳をビックリさせてやる

ちょっと話が変わりますが、同じ事を継続してやる、というのは特定の脳のワイヤリング(ニューロンの繋がり)を強めてしまいます。同じ思想の情報源を単純作業の如くインプットし続けると、脳のニューロンがその思想で強まってしまいます。

だからニューロンの繋がりが貧弱な回路を刺激するような変化や相対的な情報が入ると、未踏の地でカルチャーショック(脳がビックリした状態)を受けたりするわけです。そしてこの脳がビックリした状態が新しいアイディアや発想を生み出したり、前回述べたような楽しいという状況をつくり、つまらない状況から脱出するのでは無いかと考えます。

休暇に海外旅行や遠出に出かけるのも、ひょっとしたら無意識のうちに脳をビックリさせたい、配線を解きほぐしたいのかもしれないですね。

日頃の単純化できる作業がどれぐらいあるか、一度洗い出してみてください。そしてちょっとした変化を与えてみてください。何かが始まるかもしれません。

                  

2015年7月16日木曜日

2週間の休暇で頭を空っぽにリセットしたら、本当の楽しいってどういう意味か分かったような気がした。

さて、2週間程休暇をとってアメリカから日本へ里帰り。今回は敢えて予定を入れる事なく、流れに身を任せるような感じでのんびり過ごしました。前回帰郷した時は、とにかくいろんな人と会うという事で予定をギッシリつめてしまい、内容は充実したものの休暇の筈が疲れてしまったので、今回は違ったアプローチで休む事にしました。まさに動かざること山の如しの休暇(笑)そんな短い(?)、長い(?)休暇の中で気付いた事が多々あったので、今日は「楽しい」ってキーワードに焦点をあてて書いてみようかなと思ったとこです。

日本に帰って来ると残念な事にiPhoneのキャリア(SIM)がアメリカの物なので、WiFiに接続できないと使えない。そんでもって日本は無料WiFiがいまいち浸透していないのか、アクセスできる場所と範囲が限定されるので、帰国しても駅の公衆電話を使う方が連絡とるには楽なんです。しょうがなく家に着くまでの帰路は景色を眺めるか、電車内に居る人か物を観察するぐらいしか無いんです。まあそれはそれで面白いんですが。で、周りを見渡すとビックリするぐらい、ほとんどの人がスマホを見てるか、寝てるかの二者択一で、観光客と僕ぐらいがそれ以外のカテゴリにあてはまんのかなっていう状況。ちょっと滑稽だなと思ってしまいましたが(笑)。。その一方で通勤してた頃の自分自身を投影してみると、同じ姿の自分がイメージできてしまい、この無機質な空間に居る人達は今の生活でどういった事を「楽しい」と感じているのかなと、ふと思ってしまいました。

アメリカに移住した直後や、それまでのアメリカ生活の経験からよく、enjoy playing?, how are you?  how are things? did you have fun? did you have a good time?  などの感情を問われる系統の質問にどう答えてよいのかさっぱり分からなかった。英語の意味は理解できるし、教科書的な返事は返せたとしても、それは教科書的な物であって、自分自身の感情とは違う気がした。そもそも「楽しい」ってなんだ?というのが本音で、例えばバスケをするにしても、それは競争で勝ち負けの事だから、「楽しい」って関係ないでしょ、というのが頭の中にあったんですね。それが面白いもので、アメリカに10年も生活していると知らぬ間に文化的な違いを忘れ、身体に違った枠組みが染み付いてしまう。だから、今同じ質問をされても感情に正直な返答をする事ができるし、「楽しい」の理解が以前より分かった気がする。逆に言うと「楽しい」が分からなくなってたのか?いつから分からなくなったのか?などという事を考えてしまう。

そういや「楽しくないな」って思える時期にアメリカ移住を考えだしたのをよく覚えている。「楽しい」は分からないけども、「楽しくない」はよく分かる。今思うと実はこれが結構重要なポイントで、「楽しくない」と気付くのが第1歩、そしてなんとかしようと考えて実行するのが第2歩。そして「楽しくない」を取り払って行けば結果的に「楽しい」が見えてきたんじゃないかな、と思ったりするわけです。例えば、長時間労働や、やってても割りに合わない仕事、退屈な毎日、睡眠が足りない、などなど楽しくない原因になる事はいろいろ人生であるわけで、特に日本の文化に慣れ親しんでる人だと、皆頑張ってるからとか、会社のルールとしてこうだからとか、社会がこうだからとか、決められた枠組みで努力しないといけない仕組みがある。それが楽しいと思える人は別として、しょうがないって諦めてるとすれば残念だなと思ってしまう。チームワークは大切。しかし、自分の人生は皆が頑張ってても皆の物じゃないよ、ってのをもう一度考えてみるのも大切じゃないのかなと思ったりもするわけです。

枠組みというの壊すとか、抜け出すというのは怖いし勇気がいる行為。皆と違うと思われるのも怖い事かもしれない。ただ、なぜ自分が枠組みを作ったらダメなんだろうかという疑問は残る。ちょっと「楽しい」の話からズレてしまったので戻しますが、枠組みの中でも外でもそれは自分の自由。結局は、自分で考えて「楽しい」を埋もれた山から見つけ出して欲しいのが本題なんです。じゃあ「楽しい」はなんでそんな重要なんだ?そもそも必要か?という考え方もある。これは断言できる。重要です。例えば、小さい子供に勉強を教える、スポーツを教える、などは典型的な例で、子供達は「楽しい」に敏感。それは脳の発達状態も関係してると思うが、「楽しい」があると習得力も違うし情熱も違う。そもそも努力という言葉の以前にうまくなりたい、もっと分かりたいという持続性が出てくる。それがperseverance(屈せずにやり通す、忍耐), grit(勇気、気概、闘志)にも繋がると思っている。脳科学の観点からも「楽しい」は報酬系の網やドーパミンの生成に関わってるような記事も見かける。興味がある人はこれらのキーワードを調べてみてください。だから「楽しい」って思える事はとても重要で物事の本質なわけです。書店に並んでいるベストセラー嫌われる勇気や武田双雲関連の記事を読んでみても、本質的なところは自分自身が「楽しい」って思える事じゃないかなと感じてしまう。

しかしながら注意しないといけないのは、自分が思う「楽しい」が他人を傷つけたりするものであれば、それはどれだけ「楽しい」事であっても結果的に循環して「楽しくない」事に変わると思っています。だから「楽しい」事は他人も「楽しく」なれる事で無いといけないし、そうなればよりより社会や枠組みに変わるんじゃないかな、とも思うわけです。旅行から帰ってきた今、改めて「楽しい」とはどういう事かを考えられたおかげで、毎日つまらないと思える事や、嫌だな〜〜、悩んでもしょうがないんだけどな、って事をなるべく楽しいに変えてやろうと、見つけてやろうと、いう姿勢でやっています。ちょっとつまみを変えてやるだけの作業ですが(笑)また何か気付いた事が書いてみようと思います。

Did you have fun today?



サーフィンを初めてしたダイヤモンドヘッド近くのサーフスポットにて