2016年10月14日金曜日

忙しいのか?自動化できていないのか?

例えば忙しくてどうにもならないと思う局面がある。「急いでしなくてはならない事に追われている。する事が多くて休む暇もない。多忙だ」と定義される。猫の手も借りたい状況だ。つまり自己のスループットにおける「需要と供給のバランス」が崩れているわけで、このバランスを正常化したいと思うのが普通ではなかろうか。

じゃあどうすれば良いのか?猫の手を借りたら良いのである。人との「コミュニケーション」に長けた人であれば、仕事を委譲する事ができるし、「プログラム」を書ける人であれば、仕事を自動化できる。

そもそもなぜ仕事を委譲しないといけないのか?それは集中処理より分散処理が優れているからである。1人の処理能力というのは限界があるので、スループットにも限界がある。それは時間内にこなせる仕事というのには限界があるというのが事実としてある。分散処理して、スループットを上げる、アウトプットをあげる、それを解決するのが自動化、実現するのが仕事の委譲、委譲先が人か機械(プログラム)かという結論が導き出せる。

仕事の委譲における人か機械の違いとは何か?感情があり、深層学習があり、経験の差がある。情報の入力のインターフェース(伝達方法)も異なれば、出力のクオリティ(品質)も異なる。すぐ並列処理されるか、キューに止まった状態という即時性の違いもある。ここには人か機械かという、委譲の選択という究極の自由が与えられているわけである。

ここに委譲の例をあげてみる。

機械(プログラム):ミカンをキーワードにしたニュースを毎日この時間にメールで送って。
人:xx通りの交差点にあるスーパーに行って今晩のおかずを買ってきて家まで持ってきて。

どちらも委譲だが、人に委譲する時のインプットはファジーが伴うことが多い。そしてこのファジーなインプットを深層学習して品質の高いインプットを返せるようになってきているのが機械でありAIだ。人への委譲が、機械への委譲に変わりつつある。

何を自動化できるのかを見極め、それらを委譲できるようになれば、忙しい状態から解放される日も近い。そうすればまた違った自分のやりたい仕事ができるんだと思う今日この頃。

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