2014年4月22日火曜日

怒りについて考える

実は少しほど前から週一回の頻度で賢者(あえて文中ではこう書きます)と問答をする機会を持っていて、つい最近問答した「人との衝突・不和」についていろいろと考えさせられたので、忘れないうちにメモをしておく事にした。

人との衝突・不和の原因を探ると、その本質は行為に対する不満が怒りを生み、怒りが進行した状態が、連鎖的に怒りを生み出した結果として衝突・不和が起こる状態だと言える。つまり、怒りの矛先が行為(人)に向かうと衝突が起こるという現象だと仮定できる。そして、行為に対する不満は必然的に起こりえる事だと仮定すると、行為をコントロールする(怒りの矛先を行為に向ける)のは理にかなっていない。また、不満を我慢してしまうのは、矛先を自分自身に向けてしまう事になるので自己破綻してしまう。これでは賢くない。さあどうしたものか。。?

怒りの矛先を状況(条件)に向ける

怒りの矛先を状況(条件)に向けるという事はどういうことだろう?これを理解するにはまず小さな視点から大きな視点に変える必要がある。人の行為に注目する事を小さな視点だとすると、その行為を生み出している状況や条件に注目する事は大きな視点だと言える。木を見て森を見ず、という諺を知っている人は多いだろう。大きな視点で状況、条件を観察すると何が見えてくるのだろうか?

ちょっと具体例を出してみる。例えば、お昼の時間にとても混雑した(状況・条件)で昼食を好きなレストランで食べたい。しかしパーキングスペースがなかなか無い中(状況・条件)、やっと見つかったスペースを他にスペースを探していた人に横取りされた(行為)の結果、相手に対して怒りを覚えてしまう。

パーキングスペースを横取りした行為に怒りの矛先を向けると、他にスペースを探していた人との衝突はおそらく起こるだろう。では、とても混雑した時間帯、パーキングスペースが無い状況や条件に怒りの矛先を向けると何が起こるのだろうか?何か見えてくるのだろうか?どういった事が考えられるのだろうか?

状況・条件
  • 混雑した時間に昼食を取らないといけない
  • 店のパーキングスペースが少ない
  • 昼食の時間帯に車が多い。人が多い。
  • 昼食を取りにその場所まで行かなければならない。
などなど、怒りの矛先を状況や条件に向けると、制限されている状況や条件を広く展開する事ができる。そしてその結果、自分、もしくは相手の制限(問題)されている状況を理解する事が分かる。この展開ができ問題定義をする事ができれば、解決策を考え出すのはごく自然な事になる。そしてこれが正しい怒りの使い方であり、人との衝突や不和を避ける最善のプロセスだと思われる。

怒りはいろんな形で現れる。これはごく自然の事。物覚えが悪い部下に怒りを覚えたり、誰かの仕事の失敗や、頼んでいた物が届かない、盗難にあう、約束を破られる、など、無限に怒りを覚える事は世の中にある。そして人の行為に矛先を向けるのは簡単でラクだが、衝突を生み出す事になる。衝突は辛い状況をさらに招く事になり得る。

怒りの矛先を状況や条件に向けて問題定義から解決策に達するには、自分の頭で考えて創造力を駆使する苦労がある。しかしこの苦労は価値があると結論に達した問答だった。そしていかに自分が創造力に欠け、思考停止の状態にいたかと思うと、まだまだ青いなと思わせられた。






0 件のコメント:

コメントを投稿