2015年7月16日木曜日

2週間の休暇で頭を空っぽにリセットしたら、本当の楽しいってどういう意味か分かったような気がした。

さて、2週間程休暇をとってアメリカから日本へ里帰り。今回は敢えて予定を入れる事なく、流れに身を任せるような感じでのんびり過ごしました。前回帰郷した時は、とにかくいろんな人と会うという事で予定をギッシリつめてしまい、内容は充実したものの休暇の筈が疲れてしまったので、今回は違ったアプローチで休む事にしました。まさに動かざること山の如しの休暇(笑)そんな短い(?)、長い(?)休暇の中で気付いた事が多々あったので、今日は「楽しい」ってキーワードに焦点をあてて書いてみようかなと思ったとこです。

日本に帰って来ると残念な事にiPhoneのキャリア(SIM)がアメリカの物なので、WiFiに接続できないと使えない。そんでもって日本は無料WiFiがいまいち浸透していないのか、アクセスできる場所と範囲が限定されるので、帰国しても駅の公衆電話を使う方が連絡とるには楽なんです。しょうがなく家に着くまでの帰路は景色を眺めるか、電車内に居る人か物を観察するぐらいしか無いんです。まあそれはそれで面白いんですが。で、周りを見渡すとビックリするぐらい、ほとんどの人がスマホを見てるか、寝てるかの二者択一で、観光客と僕ぐらいがそれ以外のカテゴリにあてはまんのかなっていう状況。ちょっと滑稽だなと思ってしまいましたが(笑)。。その一方で通勤してた頃の自分自身を投影してみると、同じ姿の自分がイメージできてしまい、この無機質な空間に居る人達は今の生活でどういった事を「楽しい」と感じているのかなと、ふと思ってしまいました。

アメリカに移住した直後や、それまでのアメリカ生活の経験からよく、enjoy playing?, how are you?  how are things? did you have fun? did you have a good time?  などの感情を問われる系統の質問にどう答えてよいのかさっぱり分からなかった。英語の意味は理解できるし、教科書的な返事は返せたとしても、それは教科書的な物であって、自分自身の感情とは違う気がした。そもそも「楽しい」ってなんだ?というのが本音で、例えばバスケをするにしても、それは競争で勝ち負けの事だから、「楽しい」って関係ないでしょ、というのが頭の中にあったんですね。それが面白いもので、アメリカに10年も生活していると知らぬ間に文化的な違いを忘れ、身体に違った枠組みが染み付いてしまう。だから、今同じ質問をされても感情に正直な返答をする事ができるし、「楽しい」の理解が以前より分かった気がする。逆に言うと「楽しい」が分からなくなってたのか?いつから分からなくなったのか?などという事を考えてしまう。

そういや「楽しくないな」って思える時期にアメリカ移住を考えだしたのをよく覚えている。「楽しい」は分からないけども、「楽しくない」はよく分かる。今思うと実はこれが結構重要なポイントで、「楽しくない」と気付くのが第1歩、そしてなんとかしようと考えて実行するのが第2歩。そして「楽しくない」を取り払って行けば結果的に「楽しい」が見えてきたんじゃないかな、と思ったりするわけです。例えば、長時間労働や、やってても割りに合わない仕事、退屈な毎日、睡眠が足りない、などなど楽しくない原因になる事はいろいろ人生であるわけで、特に日本の文化に慣れ親しんでる人だと、皆頑張ってるからとか、会社のルールとしてこうだからとか、社会がこうだからとか、決められた枠組みで努力しないといけない仕組みがある。それが楽しいと思える人は別として、しょうがないって諦めてるとすれば残念だなと思ってしまう。チームワークは大切。しかし、自分の人生は皆が頑張ってても皆の物じゃないよ、ってのをもう一度考えてみるのも大切じゃないのかなと思ったりもするわけです。

枠組みというの壊すとか、抜け出すというのは怖いし勇気がいる行為。皆と違うと思われるのも怖い事かもしれない。ただ、なぜ自分が枠組みを作ったらダメなんだろうかという疑問は残る。ちょっと「楽しい」の話からズレてしまったので戻しますが、枠組みの中でも外でもそれは自分の自由。結局は、自分で考えて「楽しい」を埋もれた山から見つけ出して欲しいのが本題なんです。じゃあ「楽しい」はなんでそんな重要なんだ?そもそも必要か?という考え方もある。これは断言できる。重要です。例えば、小さい子供に勉強を教える、スポーツを教える、などは典型的な例で、子供達は「楽しい」に敏感。それは脳の発達状態も関係してると思うが、「楽しい」があると習得力も違うし情熱も違う。そもそも努力という言葉の以前にうまくなりたい、もっと分かりたいという持続性が出てくる。それがperseverance(屈せずにやり通す、忍耐), grit(勇気、気概、闘志)にも繋がると思っている。脳科学の観点からも「楽しい」は報酬系の網やドーパミンの生成に関わってるような記事も見かける。興味がある人はこれらのキーワードを調べてみてください。だから「楽しい」って思える事はとても重要で物事の本質なわけです。書店に並んでいるベストセラー嫌われる勇気や武田双雲関連の記事を読んでみても、本質的なところは自分自身が「楽しい」って思える事じゃないかなと感じてしまう。

しかしながら注意しないといけないのは、自分が思う「楽しい」が他人を傷つけたりするものであれば、それはどれだけ「楽しい」事であっても結果的に循環して「楽しくない」事に変わると思っています。だから「楽しい」事は他人も「楽しく」なれる事で無いといけないし、そうなればよりより社会や枠組みに変わるんじゃないかな、とも思うわけです。旅行から帰ってきた今、改めて「楽しい」とはどういう事かを考えられたおかげで、毎日つまらないと思える事や、嫌だな〜〜、悩んでもしょうがないんだけどな、って事をなるべく楽しいに変えてやろうと、見つけてやろうと、いう姿勢でやっています。ちょっとつまみを変えてやるだけの作業ですが(笑)また何か気付いた事が書いてみようと思います。

Did you have fun today?



サーフィンを初めてしたダイヤモンドヘッド近くのサーフスポットにて

2014年9月2日火曜日

新しい1ページ

アメリカの9月と言えば新学期。そして娘の生誕と時を同じくして職場をUからUに移ったのも9月。職場の研究所の転属発表を聞かされ、それが実現してからもう1年経ったのかと思うと、改めて時の流れる早さを痛感する。脳医学の未踏分野に挑戦する教授や研究者の中で、前提知識の無いPAではアナトミーをはじめとする文言やロジックには相変わらず四苦八苦させられるが、将来、アルツハイマーやパーキンソン病などに代表される難病解決に貢献できると思えると、この機会を得られたことに感謝の念を抱く。そしてアメリカ生活も9年目に入り、とりあえず10年はやってやるかと、海を越えてきた時に掲げた数字に刻々と迫りつつある。時間は有限だが可能性は無限。まだまだやるべき事は多い。

September reminds me of not just my daughter's arrival but also the new beginning as a programmer. I think being a father also makes me feel a year passes as if a single snap of my fingers. I never imagined surrounded by doctors and researchers to collaborate and work on the findings of what our brain actually do. It is still a mystery and I'm glad to be a part of the journey to the unknown discoveries. Perhaps I might be able to contribute to the cure of Alzheimer's or Parkinson's diseases some day. You never know. So this is my ninth year in US. The year when I departed, I somehow thought I should try ten years and see what I can do here. It's been great so far. But the time is always limited. Though not my will to challenge. And I know I have more and more things to accomplish. Let's begin this.

2014年9月1日月曜日

1歳の誕生日おめでとう

Happy 1 year birthday to my beautiful daughter. I still can't imagine it's already a year from your birth during the challenges and hardships we had. I will always remember this day and your arrival will always give me a courage and a hope. Thank you my beautiful one, your father is always happy to see your smile. Love.
1歳のお誕生日おめでとう。あの凄まじい状況と不安の中で、あっさりと産まれてからもう1年。この日を迎える度に、どんな困難にも立ち向かえる勇気を父は貰っています。元気な娘に育って下さい。生まれて来てくれてありがとう。最愛なる父より。

2014年5月7日水曜日

つまらない会議と情報過多の時代を生き抜く事を考える

つまらない会議と言うと語弊がありますが、専門用語が多いのと特定分野の(前提)知識が無いために理解が難しい状況、という事にしておきましょう。同じ言語を話しているのに、何を言っているのかサッパリ分からない。そんな状況は多かれ少なかれ誰でも経験した事があるんじゃないでしょうか?これが恒常的に起こる状況であれば、苦痛の何ものでもありません。仕事であれば最悪です。

例えば、アメリカで産まれ育った人がどれだけ日本語を流暢に話せたとしても、いきなり日本人の輪の中に入れられて、昔観たキン肉マンのエピソードの話と、その時に流行ったキン消しの話をされても理解できません。また別例として、特定医療の難しい単語を並べて、脳の解剖学的な部位、軸索、灰白質について議論されても、前提知識が無いと理解できないわけです。これはどれだけ言語をマスターしていても、特定分野の前提知識が無いから理解できないからです。

さてどうしたものか?賢者との問答に解決策を求めました。

「特定のキーワードを毎回2つ選んで覚えて調べる。」

なるほどなと、改めて賢者の本質をついた答えに驚愕させられました。コンピューター・サイエンティストの言葉で言い換えると、任意のキーワードを抽出してデータ構造(ツリーやグラフ)を作るという事です。つまり、任意のキーワードを選んで、そのキーワードについて様々な情報源を元に調べると、情報源の中に重複した関連性のある新しいキーワードが出て来ます。それらを元にツリーでもグラフでも良いのでデータ構造を作るのです。

キン肉マン(Key#1) ___ マンガ
                   |___ 超人 ____ 正義
                                                   |____ 悪魔 ____ アシュラマン(Key#2) ____ 腕6本
                  |____ ザ・マウンテン

上のツリー構造は、キン肉マンとアシュラマンを会話から2つの意味不明なキーワード(ノード)として関連する(共通する)二次キーワードを紐付けた一例です。この紐付けができた時点で、自分自身の頭の中ではうっすらと理解のデータ構造が形成されます。二次キーワードの頻度が多くなると、キーワード(ノード)に重み付けをする事ができるので、どのキーワード(ノード)が重要か分かります。毎回キーワード(ノード)を増やすので、データ構造が大きくなりますが、重み付けを伴うのでどのノードが重要で、どこに問題が潜んでいるのか理解しやすくなります。またつながりの多いキーワード(ノード)が出来始めると、データ構造もグラフに変化しますが、どのノードに注目すべきかも分かります。結論として自分の理解に必要なデータ構造が頭の中で形成されるのです。これがポイント。

実はこのアプローチは情報過多な現代では効率的で、また質の高い情報を得るにも有効な手法だと考えています。身近な所では自分に必要なニュースであったり、興味の範疇になるものですね。上の例ではキン肉マンとアシュラマンという意味不明な単語から、マンガの中の超人というもので、正義と悪魔にカテゴライズされるんだという事が分かりました。結論として、情報過多の状況では、キーワードを元にしたデータ構造を作ることで、どこに焦点を当てると良いか分かり易くなるので、全ての情報を知る必要が無く、効率性という観点からも有効な手法だと思ってます。

文献や論文や新聞の記事元は大切ですね、と括ります。

2014年4月22日火曜日

「Can you enjoy the moment?」 という観点から考えた英語習得のプロセス

英語を習得する事に限らず、何かを習得しようとする根底には「Can you enjoy the moment?」が出来るかどうかに日本とアメリカの文化的な違いを感じる。いや、習得のみならず全般的に通ずる事のように思われる。仕事でさえ。。。

日本の諺には「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、この言葉の延長線上にあるのが「Can you enjoy the moment?」ではなかろうか?しかしながら、どうもこの言葉のみならず、この概念が日本の文化には欠如しているような気がする。いや、ひょっとしたらこの概念を持つことが許されていない制約があるのかもしれない。そこは完全性は善、不完全性は悪、という本質が日本社会の根底にあるのでは無いかという持論の元に仮定しているのだが、これは今回のテーマとは異なるのでまた別の機会に。

「Can you enjoy the moment?」=「その瞬間を楽しむ」。。。これは一体どういう事だろう?まず楽しむ事に焦点を当てて考えてみたい。

確か前回、日本の英語教育のフレームワークには欠陥がある話をした気がするが、実は欠陥が仮にあったとしても、「その瞬間を楽しむ」ことが出来るのであれば、これはその個人としては効果があったと言えるであろう。逆説的ではあるが、「その瞬間を楽しむ」事ができないフレームワークだからこそ、欠陥があると言えるのでは無いか、という捉え方もできる。おそらくこれは事実では無いかと思う。文法(規約)の詰め込みを、非日常的で無味乾燥な文言で覚える事の瞬間に楽しみを覚えられる事が果たしてできるのであろうか?

英語学習のワークフローを従来のシステムを暗記型に、そして個人の思考を重視した思考型に大きく2つに分けられる事を前提に、そのプロセスを考えてみたい。もちろんここではテスト(アセスメント)の制約は外した前提で考える。

1.暗記型

文法(ルール)の暗記 -----> 非日常的な文章の暗記 ----->  非実用的  ------> 楽しくない

2.思考型

文章の自由作成 --------------> 日常的な文章の作成 --------> 実用的 ------------> 楽しい


まず、暗記型のフローから分かる事は、暗記作業がある事、そして個人に非実用的な文章に基づいた暗記作業である事、その結果、作業の瞬間に楽しさは生まれないという結論づけた。それとは反対に、思考型のフローは個人に日常的な文章を自分の思考の結果、実用的な文章が身につくため、思考過程で楽しさが生まれると結論づけた。ここで注意したいのが、非日常と日常の言葉。ここで定義する非日常、日常は、

日常 .......... 自分自身にとって関心のある事、コミュニケーションしたい事。
非日常 ...... 自分自身にとって関心の無い事、誰かに与えられた事象。

である。実用的であるかどうかは、まさにこの差が示すところである。そして、改めて楽しいかどうかを決める要素は、以下のように定義したい。

1.楽しくない 
 非目的 暗記(非思考) 非創造 非実用

2.楽しい
 目的 思考(非暗記)創造 実用

さて、ここまでのところで英語習得のプロセスで楽しむためのキーワードを紹介した。目的を持つこと、暗記では無く思考すること、自分から作り出す創造性、そして実用的であるかどうか。これらの要素が楽しさと強く関連していると考えたい。更には、楽しさはこらの要素が発揮されている条件で初めて生み出されると結論づけたい。英語のみならず、何かを習得するには今一度、プロセスに、また、その瞬間を楽しめているのかどうか振り返ってもらいたい。また、こういったキーワードが見え隠れしていないかも確認してもらいたい。次回はこれらのキーワードの妨げとなる制約について考えたい。