2014年9月2日火曜日

新しい1ページ

アメリカの9月と言えば新学期。そして娘の生誕と時を同じくして職場をUからUに移ったのも9月。職場の研究所の転属発表を聞かされ、それが実現してからもう1年経ったのかと思うと、改めて時の流れる早さを痛感する。脳医学の未踏分野に挑戦する教授や研究者の中で、前提知識の無いPAではアナトミーをはじめとする文言やロジックには相変わらず四苦八苦させられるが、将来、アルツハイマーやパーキンソン病などに代表される難病解決に貢献できると思えると、この機会を得られたことに感謝の念を抱く。そしてアメリカ生活も9年目に入り、とりあえず10年はやってやるかと、海を越えてきた時に掲げた数字に刻々と迫りつつある。時間は有限だが可能性は無限。まだまだやるべき事は多い。

September reminds me of not just my daughter's arrival but also the new beginning as a programmer. I think being a father also makes me feel a year passes as if a single snap of my fingers. I never imagined surrounded by doctors and researchers to collaborate and work on the findings of what our brain actually do. It is still a mystery and I'm glad to be a part of the journey to the unknown discoveries. Perhaps I might be able to contribute to the cure of Alzheimer's or Parkinson's diseases some day. You never know. So this is my ninth year in US. The year when I departed, I somehow thought I should try ten years and see what I can do here. It's been great so far. But the time is always limited. Though not my will to challenge. And I know I have more and more things to accomplish. Let's begin this.

2014年9月1日月曜日

1歳の誕生日おめでとう

Happy 1 year birthday to my beautiful daughter. I still can't imagine it's already a year from your birth during the challenges and hardships we had. I will always remember this day and your arrival will always give me a courage and a hope. Thank you my beautiful one, your father is always happy to see your smile. Love.
1歳のお誕生日おめでとう。あの凄まじい状況と不安の中で、あっさりと産まれてからもう1年。この日を迎える度に、どんな困難にも立ち向かえる勇気を父は貰っています。元気な娘に育って下さい。生まれて来てくれてありがとう。最愛なる父より。

2014年5月7日水曜日

つまらない会議と情報過多の時代を生き抜く事を考える

つまらない会議と言うと語弊がありますが、専門用語が多いのと特定分野の(前提)知識が無いために理解が難しい状況、という事にしておきましょう。同じ言語を話しているのに、何を言っているのかサッパリ分からない。そんな状況は多かれ少なかれ誰でも経験した事があるんじゃないでしょうか?これが恒常的に起こる状況であれば、苦痛の何ものでもありません。仕事であれば最悪です。

例えば、アメリカで産まれ育った人がどれだけ日本語を流暢に話せたとしても、いきなり日本人の輪の中に入れられて、昔観たキン肉マンのエピソードの話と、その時に流行ったキン消しの話をされても理解できません。また別例として、特定医療の難しい単語を並べて、脳の解剖学的な部位、軸索、灰白質について議論されても、前提知識が無いと理解できないわけです。これはどれだけ言語をマスターしていても、特定分野の前提知識が無いから理解できないからです。

さてどうしたものか?賢者との問答に解決策を求めました。

「特定のキーワードを毎回2つ選んで覚えて調べる。」

なるほどなと、改めて賢者の本質をついた答えに驚愕させられました。コンピューター・サイエンティストの言葉で言い換えると、任意のキーワードを抽出してデータ構造(ツリーやグラフ)を作るという事です。つまり、任意のキーワードを選んで、そのキーワードについて様々な情報源を元に調べると、情報源の中に重複した関連性のある新しいキーワードが出て来ます。それらを元にツリーでもグラフでも良いのでデータ構造を作るのです。

キン肉マン(Key#1) ___ マンガ
                   |___ 超人 ____ 正義
                                                   |____ 悪魔 ____ アシュラマン(Key#2) ____ 腕6本
                  |____ ザ・マウンテン

上のツリー構造は、キン肉マンとアシュラマンを会話から2つの意味不明なキーワード(ノード)として関連する(共通する)二次キーワードを紐付けた一例です。この紐付けができた時点で、自分自身の頭の中ではうっすらと理解のデータ構造が形成されます。二次キーワードの頻度が多くなると、キーワード(ノード)に重み付けをする事ができるので、どのキーワード(ノード)が重要か分かります。毎回キーワード(ノード)を増やすので、データ構造が大きくなりますが、重み付けを伴うのでどのノードが重要で、どこに問題が潜んでいるのか理解しやすくなります。またつながりの多いキーワード(ノード)が出来始めると、データ構造もグラフに変化しますが、どのノードに注目すべきかも分かります。結論として自分の理解に必要なデータ構造が頭の中で形成されるのです。これがポイント。

実はこのアプローチは情報過多な現代では効率的で、また質の高い情報を得るにも有効な手法だと考えています。身近な所では自分に必要なニュースであったり、興味の範疇になるものですね。上の例ではキン肉マンとアシュラマンという意味不明な単語から、マンガの中の超人というもので、正義と悪魔にカテゴライズされるんだという事が分かりました。結論として、情報過多の状況では、キーワードを元にしたデータ構造を作ることで、どこに焦点を当てると良いか分かり易くなるので、全ての情報を知る必要が無く、効率性という観点からも有効な手法だと思ってます。

文献や論文や新聞の記事元は大切ですね、と括ります。

2014年4月22日火曜日

「Can you enjoy the moment?」 という観点から考えた英語習得のプロセス

英語を習得する事に限らず、何かを習得しようとする根底には「Can you enjoy the moment?」が出来るかどうかに日本とアメリカの文化的な違いを感じる。いや、習得のみならず全般的に通ずる事のように思われる。仕事でさえ。。。

日本の諺には「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、この言葉の延長線上にあるのが「Can you enjoy the moment?」ではなかろうか?しかしながら、どうもこの言葉のみならず、この概念が日本の文化には欠如しているような気がする。いや、ひょっとしたらこの概念を持つことが許されていない制約があるのかもしれない。そこは完全性は善、不完全性は悪、という本質が日本社会の根底にあるのでは無いかという持論の元に仮定しているのだが、これは今回のテーマとは異なるのでまた別の機会に。

「Can you enjoy the moment?」=「その瞬間を楽しむ」。。。これは一体どういう事だろう?まず楽しむ事に焦点を当てて考えてみたい。

確か前回、日本の英語教育のフレームワークには欠陥がある話をした気がするが、実は欠陥が仮にあったとしても、「その瞬間を楽しむ」ことが出来るのであれば、これはその個人としては効果があったと言えるであろう。逆説的ではあるが、「その瞬間を楽しむ」事ができないフレームワークだからこそ、欠陥があると言えるのでは無いか、という捉え方もできる。おそらくこれは事実では無いかと思う。文法(規約)の詰め込みを、非日常的で無味乾燥な文言で覚える事の瞬間に楽しみを覚えられる事が果たしてできるのであろうか?

英語学習のワークフローを従来のシステムを暗記型に、そして個人の思考を重視した思考型に大きく2つに分けられる事を前提に、そのプロセスを考えてみたい。もちろんここではテスト(アセスメント)の制約は外した前提で考える。

1.暗記型

文法(ルール)の暗記 -----> 非日常的な文章の暗記 ----->  非実用的  ------> 楽しくない

2.思考型

文章の自由作成 --------------> 日常的な文章の作成 --------> 実用的 ------------> 楽しい


まず、暗記型のフローから分かる事は、暗記作業がある事、そして個人に非実用的な文章に基づいた暗記作業である事、その結果、作業の瞬間に楽しさは生まれないという結論づけた。それとは反対に、思考型のフローは個人に日常的な文章を自分の思考の結果、実用的な文章が身につくため、思考過程で楽しさが生まれると結論づけた。ここで注意したいのが、非日常と日常の言葉。ここで定義する非日常、日常は、

日常 .......... 自分自身にとって関心のある事、コミュニケーションしたい事。
非日常 ...... 自分自身にとって関心の無い事、誰かに与えられた事象。

である。実用的であるかどうかは、まさにこの差が示すところである。そして、改めて楽しいかどうかを決める要素は、以下のように定義したい。

1.楽しくない 
 非目的 暗記(非思考) 非創造 非実用

2.楽しい
 目的 思考(非暗記)創造 実用

さて、ここまでのところで英語習得のプロセスで楽しむためのキーワードを紹介した。目的を持つこと、暗記では無く思考すること、自分から作り出す創造性、そして実用的であるかどうか。これらの要素が楽しさと強く関連していると考えたい。更には、楽しさはこらの要素が発揮されている条件で初めて生み出されると結論づけたい。英語のみならず、何かを習得するには今一度、プロセスに、また、その瞬間を楽しめているのかどうか振り返ってもらいたい。また、こういったキーワードが見え隠れしていないかも確認してもらいたい。次回はこれらのキーワードの妨げとなる制約について考えたい。







怒りについて考える

実は少しほど前から週一回の頻度で賢者(あえて文中ではこう書きます)と問答をする機会を持っていて、つい最近問答した「人との衝突・不和」についていろいろと考えさせられたので、忘れないうちにメモをしておく事にした。

人との衝突・不和の原因を探ると、その本質は行為に対する不満が怒りを生み、怒りが進行した状態が、連鎖的に怒りを生み出した結果として衝突・不和が起こる状態だと言える。つまり、怒りの矛先が行為(人)に向かうと衝突が起こるという現象だと仮定できる。そして、行為に対する不満は必然的に起こりえる事だと仮定すると、行為をコントロールする(怒りの矛先を行為に向ける)のは理にかなっていない。また、不満を我慢してしまうのは、矛先を自分自身に向けてしまう事になるので自己破綻してしまう。これでは賢くない。さあどうしたものか。。?

怒りの矛先を状況(条件)に向ける

怒りの矛先を状況(条件)に向けるという事はどういうことだろう?これを理解するにはまず小さな視点から大きな視点に変える必要がある。人の行為に注目する事を小さな視点だとすると、その行為を生み出している状況や条件に注目する事は大きな視点だと言える。木を見て森を見ず、という諺を知っている人は多いだろう。大きな視点で状況、条件を観察すると何が見えてくるのだろうか?

ちょっと具体例を出してみる。例えば、お昼の時間にとても混雑した(状況・条件)で昼食を好きなレストランで食べたい。しかしパーキングスペースがなかなか無い中(状況・条件)、やっと見つかったスペースを他にスペースを探していた人に横取りされた(行為)の結果、相手に対して怒りを覚えてしまう。

パーキングスペースを横取りした行為に怒りの矛先を向けると、他にスペースを探していた人との衝突はおそらく起こるだろう。では、とても混雑した時間帯、パーキングスペースが無い状況や条件に怒りの矛先を向けると何が起こるのだろうか?何か見えてくるのだろうか?どういった事が考えられるのだろうか?

状況・条件
  • 混雑した時間に昼食を取らないといけない
  • 店のパーキングスペースが少ない
  • 昼食の時間帯に車が多い。人が多い。
  • 昼食を取りにその場所まで行かなければならない。
などなど、怒りの矛先を状況や条件に向けると、制限されている状況や条件を広く展開する事ができる。そしてその結果、自分、もしくは相手の制限(問題)されている状況を理解する事が分かる。この展開ができ問題定義をする事ができれば、解決策を考え出すのはごく自然な事になる。そしてこれが正しい怒りの使い方であり、人との衝突や不和を避ける最善のプロセスだと思われる。

怒りはいろんな形で現れる。これはごく自然の事。物覚えが悪い部下に怒りを覚えたり、誰かの仕事の失敗や、頼んでいた物が届かない、盗難にあう、約束を破られる、など、無限に怒りを覚える事は世の中にある。そして人の行為に矛先を向けるのは簡単でラクだが、衝突を生み出す事になる。衝突は辛い状況をさらに招く事になり得る。

怒りの矛先を状況や条件に向けて問題定義から解決策に達するには、自分の頭で考えて創造力を駆使する苦労がある。しかしこの苦労は価値があると結論に達した問答だった。そしていかに自分が創造力に欠け、思考停止の状態にいたかと思うと、まだまだ青いなと思わせられた。






2014年4月4日金曜日

そろそろ英語を習得する事について書こう

育児の事もあってか、最近は言語の習得過程についてよく考えさせられます。どうやって英語を覚えたか?習得したか?よく聞かれる質問ですが、振り返ってみると日本の教育システムの枠組みでは、英語習得にほとんど役に立たなかったように思えます(笑)。(いや、全く無駄ってわけではなかったですが。。。)

じゃあどうやって習得したのか?

それは英語を習得したい先にある目的を持つことです。

目的を持つことで問題にぶつかります。問題にぶつかり、自分の頭で考え、解決策を見つける。これを繰り返す。そして思考したらそれは身につきます。

しかしながら、日本の教育システムの中ではルールを記憶する事に重きが置かれているので、英語を習得する先にある目的が無い。(受験という目的はあるかもしれませんが。。。)個人的な目的意識が希薄だと、結局は習得に至らない。つまり、手段の目的化では習得できません。

そして、どうやら日本の社会にはこのシンプルな習得プロセスの弊害となる障壁がたくさんあるようです。それを個人的な経験を元に、何回かに分けて書いてみようと思います。

後世に活かされるために。英語習得に苦しんでる人のために。一石を投じてみます。







2014年1月2日木曜日

2014年明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。

最近はブログの更新が滞っているので、今年はもう少し頻繁に更新しようかなと反省しています。去年は私事でかなりの変化があり、ある意味チャレンジの年となりました。今年は創造性を加えてますます挑戦していこうかなと思ってます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



2014年1月2日 ロサンゼルスより